キモ可愛くて不思議-野嶋奈央子の作品考
樋口 昌樹(美術評論家)
野嶋奈央子の作品を一言で言い現わすとしたら、「キモ可愛い」という言葉が一番しっくりくる。美術作品を形容するのにイマドキの若者言葉を用いるのは申し訳ない気もするけれど、この言葉は野嶋作品の本質を的確にとらえているように思うのだ。
「キモ可愛い」とは、本来は正反対のふたつの感覚、嫌悪感と好感が両立した状態を示している。気持ち悪いから嫌いと切り捨てるのではなく、気持ち悪いけど可愛い、好きと、積極的に肯定する意識がこの言葉には含まれている。やはり若者たちが多用する「ヤバイ」も同様で、本来は危険で好ましくない状態を指す言葉が、肯定的な意味に転化して使われている。多少大げさな言い方をするならば、多様な価値観を受け入れるダイバーシティ的な感覚(これも昨今の流行り言葉だ)が、これらの言葉の根底にあるといえるだろう。
さて、話が遠回りしてしまったが、そろそろ野嶋の作品に戻ろう。
野嶋奈央子の作品でまず目を奪われるのは、独特のニュアンスを持つ赤やピンクの色味だ。一般的に赤はきらびやかでセクシーな印象を与える色だが、野嶋の赤にはそんな感じは全くなく、血の色を思わせる、おどろおどろしいところがある。ピンクも同様で、愛らしいというよりは、どこか猥雑な感じがする。「キモ可愛い」の反対で、セクシーで愛らしく可愛いはずの色がキモチ悪いものに転化してしまっている。しかしそのズレる感じが心地よいのだ。そしてこれらの色味を緑やブルーといった補色と組み合わせることによって、くらくらするような強烈なコントラストが生まれてくる。このくらくら感も野嶋作品の魅力のひとつだ。
こうした独特の色味も配色も、意図的に生み出されたものではなく、自然にあふれ出てきたものである。モチーフにおいても同じことがいえ、初期のバスタブや箱状のもの、あるいは近年好んで描いている「の」など、何か意味があるのかと思うとそうではなく、なんとなく選ばれたものだ。色味も配色もモチーフも、全て自然発生的に生まれたものなのである。この巧まざる感じ、気負ったところが少しもないユルイ感じも、野嶋作品の魅力だ。
と、ここまで書いてきた文章を読み返してみると、「ズレる感じ」だの「くらくら感」だの「ユルイ感じ」だの、あまり褒め言葉とはいえない言い回しばかり並んでいて、また申し訳ない気持ちになってしまう。しかしもちろん、私は褒めているのだ。意味が、価値観が、ネガティブなものがポジティブに、ポジティブなものがネガティブに、いつの間にか転化してしまう不思議さ。野嶋奈央子の作品を改めて一言で言い現わすとしたら「不思議」となるのだろうか。
そしてこの不思議さこそ、野嶋作品の最大の魅力なのだ。